平成30年11月23日
伝統文化とは、「世代を超えて受け継がれた精神性」であり、地域の特性が生み出した固有の習慣・慣習や生活様式、生活に根付いた技芸や風習も長い歴史にもまれながら伝統という形で受け継がれてきたものと定義されていた。
残っている無形の文化においては、関係者の努力は計り知れない。しかし、限られた人だけでなく、東京の伝統文化として、絶やさぬように、地域として協力して守っていく必要もある。
あきる野市では三大祭(二宮、伊奈、五日市地区のお祭り)以外でも、各地で伝承されている獅子舞、神楽、囃子、地芝居などの民俗芸能が盛んで、歴史の特質であり、地域の宝として誇れる伝統文化であります。承継と振興を図るため、郷土芸能連合会や各保存団体があり、東京都も不定期ではあるが、DVD映像の作成や、市のホームページなどからは、情報発信などに取り組んではいるが、世代をつないでいくのは難しいのが現状である。
ましてや、子どもの頃に、伝統文化に触れた経験をしないまま大人になると、時代が違うから伝統は廃れても仕方がないと、簡単に言い切れてしまうかもしれない。
やはり、子どもの頃に経験が出来る仕組みは必要と考える。
しかし神社のお祭りに積極的な参加を訴えたとすると、「宗教的な行事なのに」と、反対を唱える考えの人もいるので一概に話を進めるのは難しい。
では伝統文化を宗教的と考えるのは妥当なのか。そもそも農村文化で五穀豊穣は村人の願いだ。その気持を神様に奉納するのだ。例えば3匹獅子の舞では、幼年期楽しく3匹で遊んでいる獅子たちは、成人して2匹の男獅子が1匹の雌獅子を狙って争う場面に展開する物語を舞っている。
文化の承継するために、無くさないように頑張っている地域の人財がいる。だから今まで続いてきた。しかし無くなった文化も少なくはない。
あきる野市内では、何とか年寄りが子どもの頃の記憶をたどって、復活した獅子舞もあると聞く。
それが目的だけではないが、記録は必要である。興味がある人ない人いると思うが、無くなってしまってからでは、何もなかったことと一緒になってしまう。
これからの継続が、万が一途切れたとしても、多くのひとが、関わってきた文化が、次の世代で、民俗芸能の記録さえ残っていれば復活の可能性は無いわけではない。そう考えると、伝承には、映像資料は不可欠なものであり大切な手段である。
地域経済を考える上で、歴史的な背景は大切にする必要があると感じる。
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